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夏目漱石の本を片手に巡りたい。東京都内の筆者ゆかりの地

夏目漱石と聞いて知らない人はいないでしょう。「こころ」「我が輩は猫である」を代表作に持つ日本の小説家、評論家、英文学者です。旧1000円札にもなっていたので、顔も想像がつくのではないでしょうか? 来年2016年は没後100年を迎える夏目漱石のゆかりの地を今回は紹介いたします。

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このまとめ記事の目次

国内外問わず文学を追究した夏目漱石

現在の東京都新宿区喜久井町に生まれた夏目漱石は地元の名主の家に生まれました。
大学の際はほぼ主席で特に英文学が優れており、和訳や英訳なども行いました。
また、「 I love you」を「月が綺麗ですね」と訳す等、粋な翻訳も有名ですよね。

夏目漱石の生涯

地元の名家に生まれた夏目漱石ではありましたが、彼が生まれた際には家の経済は既に傾いていて、生後すぐに里子に出されました。

母は子沢山の上に高齢で出産した事から「面目ない」と恥じたといい、漱石は望まれない子として生まれたといえる。

出典:ja.wikipedia.org
勉学に勤しんだ夏目漱石は様々な学校を経由する中で俳人の正岡子規に出会うことになります。
文学という共通のライフワークを共有した2人の友情は子規が他界するまで続きます。

1890年(明治23年)、創設間もなかった帝国大学(後に東京帝国大学)英文科に入学。

出典:ja.wikipedia.org

留学そして作家へ

帝国大学入学後から元々体もあまり丈夫ではなかった夏目漱石は厭世主義・神経衰弱に陥り始めます。
精神的な病気はイギリス留学時にさらに悪化し、帝国大学卒業後には肺結核も合わせて増強は悪化していきます。
帰国後、高校、大学で教師をしつつ執筆にも勤しんでいた夏目漱石は相変わらず精神病に苦しむが、精神衰弱を和らげるため処女作になる『吾輩は猫である』を書いたことから病状も良くなりました。

夏目漱石の晩年

1915年(大正4年)3月、京都へ旅行し、そこで5度目の胃潰瘍で倒れる。

出典:ja.wikipedia.org
静養のために伊豆の修善寺に出かけ転地療養するも1年後には糖尿病に悩まされ、数年前には痔を患い手術も2度行っています。
最後は大内出血を起こし執筆中に亡くなりました。

夏目漱石の著書を片手にゆかりの地へ

吾輩は猫である

「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」

出典:www.habutae.jp
「羽二重団子 本店」のサイトにも引用されている「吾輩は猫である」の一文です。
正岡子規も自分の作品に登場させた団子は学生時代に2人で食べにいったのでしょうか?

猫の家

夏目漱石が「吾輩は猫である」を執筆した家「猫の家」はイギリス帰国後、家族で住んだ家の跡地です。
記念碑とさりげなくいる猫が可愛らしいです。

坊っちゃん

「坊っちゃん」の主人公が通った東京物理学校(現東京理科大学)です。
物語中での主人公は新米教師となっているため、話のメインには出てきませんが近代科学資料館には当時の資料や教材が展示してあります。

こころ

「こころ」の登場人物が日常で歩いている際に度々その名が現れる「伝通院」です。
徳川家ゆかりのお寺です。

夏目漱石が日常を過ごした場所

誕生の地

いまはその跡形すら残っておらず、記念碑のみあります。
生誕100年を記念して立てられました。

相馬屋

夏目漱石が原稿用紙を買う際に訪れたという老舗原稿用紙店です。
現在は文房具や店舗オリジナルグッズも取扱いしています。
いかがでしたでしょうか?
今回は文豪・夏目漱石を紹介しました。
今でも多数の作品が世に残っており、人々の心に残っています。
生まれも育ちも東京の夏目漱石の軌跡、辿ってみてはいかがでしょか?

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