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仙台オススメ寺・ここはいかなきゃ損?!隠れ名刹「輪王寺」美しい庭園を見に行こう!

「輪王寺」は宮城有数の名園を持つ伊達家ゆかりのお寺です。地元の人がオススメするほど落ち着いた雰囲気と季節の移り変わりの美しさが際立つ庭園にそびえる三重の塔がポイントです。”杜の都 仙台”で落ち着いた寺院の散策をしてみませんか?

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このまとめ記事の目次

仙台城下の北の守り神「北山五山」

JR・地下鉄の”北仙台駅”を中心に北に東西に横たわる「北山」と呼ばれる標高20m程の尾根に沿って並ぶ5つの仏閣を”北山五山”と呼びました。


別名”政宗五山”、”伊達五山”ともいい、季節の移り変わりが美しい”北山界隈”として市民からも親しまれている一角です。

伊達政宗が仙台開府の際、京都、鎌倉の五山に習い「資福寺」「覚範寺」「東昌寺」「光明寺」「満勝寺」(柏木に移転)を奥州街道、根白石街道の関門として、また城下防衛のため北山に配置「北山五山」と呼ばれるようになりました。

出典:www.city.sendai.jp

「北山五山」の1つである満勝寺が移転して北山丘陵にないため、「輪王寺」に代えて、東昌寺、光明寺、覚範寺、資福寺、輪王寺を「北山五山」とすることもあります。

出典:sendai-rtoj.seesaa.net

「輪王寺」の”六遷(ろくせん)”伊達家と一緒にお引越し!

輪王寺は嘉吉元年(1441)福島県の梁川(やながわ)城郭寺院跡に残る南北朝〜室町時代の9代目の”政宗氏”の奥方の初願によって11代目の”持宗”が、太菴梵守和尚を招いて開基したお寺です。


その後、伊達家の居城が移り変わるごとに引っ越しを繰り返し、梁川より西山・米沢・会津・米沢・岩出山と6回移り住み、伊達政宗公が仙台城を構えた1602年に現在地へ。

輪王寺の造営は、伊達政宗から4代にわたって受け継がれ、綱村の代に完成。参禅弁道の雲水は常に数百人と言われ、奥州随一の禅の名刹だった。

出典:www.h5.dion.ne.jp

鐘楼

焼け残るべきして残った「輪王寺 仁王門」・市有形文化財

明治9年(1876)の野火に類焼し、大伽藍を焼失してしまった輪王寺。唯一この八脚門の仁王門だけが、延焼を逃れ320年に渡る歴史を伝えています。


苦労を自ら買い、存在すら忘れられた「輪王寺」再建に取り組んだ「無外和尚」。崩れかけた山門の”勅額(ちょくがく)”=天皇直筆の寺社名を書いた額をみると一筋の光が湧き出る希望が射したといいます。

輪王寺は北山の寺の中でも随一の規模をほこる寺で、京都の北山になぞらえるなら仁和寺に相当するような寺だ。仁王門の先は長い石畳の参道が続いている。

出典:www.sukima.com

輪王寺山門は、元禄4年(1691)四代藩主、綱村によって建てられたとされ、明治9年の大火を免れた江戸中期の特徴が見られる遺構となっています。

出典:miyagitabi.com
2012年3月に開通したこの輪王寺下を通る都市計画道路「北山トンネル」の工事に伴い、かつて両脇に趣のあった杉木立が伐採され、きれいに改修されました。

輪王寺を復興させた「福定無外和尚」

伊達家の庇護の元、奥州の曹洞宗の一大叢林(そうりん)として繁栄した「輪王寺」ですが、明治維新以後は、庇護も失い、追いうちをかけた明治9年の北山大火災で荒れ寺となってしまいます。

永平寺と総持寺は、輪王寺の衰微を惜しみ、1903(明治36)年、「福定無外和尚」を輪王寺住職に特選し復興を図らせた。辛苦十余年、寝食を忘れて再建に努力し、1915(大正4)年、現在の本堂と庫裡を完成するに至った。

出典:yshisotricalplace.web.fc2.com

無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年には現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅園の基礎が整えられた。

出典:yshisotricalplace.web.fc2.com
無外和尚は、元は曹洞宗の大本山である”総持寺”(横浜・鶴見)にいらっしゃいました。総持寺にいればそのまま間違えなく重職につくべきお方でした。

仏法的平和庭園「輪王寺庭園」

身ひとつで「輪王寺」の復興に黙々と1人、托鉢から始めた無外和尚は、本堂の建立を成し遂げると庭園の造成にも力を注ぎました。


無外和尚の無一無二の道楽は”書”で、少々飲んだお酒で酔うと直ぐに筆を持ち、一杯飲んで字を書く時の嬉しそうな無心な様は、まるで童心のようであったといいます。

四季の花が咲き水面の上に月も映る。そうした庭の風光を愛でながら、茶を喫し「琴と胡弓」を楽しむなど、無外和尚の願いにかなった、仏法的平和というものだろう。

出典:www.h5.dion.ne.jp

輪王寺第41世・無外和尚は、昭和18年5月22日に遷化、「天外五峰和尚」が後を継いだ。天外和尚は空襲で荒廃した仙台の街に立ち、辻説法をして復興を説く骨太の禅者だった。開祖・道元の「只管打座」の精神で、参禅する者を導いたという。

出典:www.h5.dion.ne.jp

庭園の中心を位置する「三重の塔」

三重塔は高さ22.6m 、日置道閑和尚の時代に”開山五百回大遠忌”を記念して、昭和56年(1981)に 建立。

春は桜、初夏はアヤメ、秋は紅葉、冬は庭園の”雪つり”と季節に合わせてその姿を美しく庭園に映し出します。

三重塔自体は、RC造りで簡素なものだが、その仏塔の簡素さを補って余りある…いや、 むしろ、三重塔の魅力を何倍にも引き立たせるほど美しく手入れされた 庭園風景。この美しい庭園内になら、どんな仏塔を置いても映えるかもしれない。

出典:shirokokuho.shakunage.net

輪王寺庭園にあるアヤメ。見ごろは大体7月頃です。池の近くに咲くアヤメと、その向こうに建っている三重の塔のバランスがよく、美しい景色が楽しめます。

出典:www.jalan.net

「蘭庭堂」と蘭庭明玉禅尼

元々輪王寺は、伊達家九代目の政宗※の妻、蘭庭明玉禅尼(らんてい-みょうぎょくぜんに)の菩提寺でした。こちらは蘭庭明玉禅尼の御霊屋として建てられたものです。

扉に見える御門は伊達家の家紋で、「竹に雀」と「九曜」です。
※独眼竜政宗は、十七代目の当主です。

政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜ったという。

出典:shirokokuho.shakunage.net

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ライター紹介このまとめ記事を書いた人

Kemuyuぷち旅行好きで☆お菓子好き♪
チョットした歴女?!かもしれません。
違った視点で、旅行を楽しむポイントご紹介できたらうれしいですっ

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