南仏ローマ遺跡「コンスタンチヌス共同浴場跡」超スーパー銭湯だった!

コンスタンチヌス共同浴場跡(Les Thermes de Constantin)はかつて古代ローマ帝国の各都市に必ず整備されていたといわれる公共の入浴施設で、高温風呂、低温風呂、水風呂、サウナ、スチームサウナなど、現在の温泉施設顔負けの施設が整ったローマ市民の娯楽場でした。ローヌ川の水をボイラーで沸かしてそれぞれの浴室に供給し、床下や壁を通して部屋を暖めるセントラルヒーティングシステムを採用していました。コンスタンチヌス共同浴場跡ではいまも現存するカルダリウム、テピダリウム、サウナ室などの遺構を見ることができます。

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このまとめ記事の目次

コンスタンチヌス共同浴場跡とは

コンスタンチヌス共同浴場跡(Les Thermes de Constantin)は、南仏プロヴァンスにある世界遺産の町アルルに残る古代ローマ時代の遺跡です。プロヴァンス地方に現存する最大規模の浴場跡で、4世紀のコンスタンティヌス1世の時代に建設されたものです。円形闘技場や古代劇場などとともに世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」として登録されています。
またアルルにはローマやエルサレムと並ぶキリスト教の聖地・スペインへつ続く巡礼路の起点があったことから、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」エリアとも重複しています。コンスタンチヌス共同浴場跡はフランス4大河川のひとつ、ローヌ川の畔を走るグラン・ブリュレ通りとマルクス・ドルモア通り、ドミニク・メスト通りに面した一角に位置します。

古代ローマ帝国の大帝「コンスタンチヌス1世」

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コンスタンチヌス1世は初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代から約330年後に成立したコンスタンティヌス朝の創始者で、306年から31年間統治しました。功績のひとつはそれまで迫害していたキリスト教をはじめとする信仰の自由を公認し、帝国統治に利用するために発令した「ミラノ勅令」で、カトリック教会により聖人に列せられています。キリスト教がローマの国教になったのは70年後のテオドシウス朝392年のことです。

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ちなみに世界中でお祝いされるクリスマスの12月25日は、ローマ神話に登場するワインの神・バッカス(Bacchus)の誕生日です。バッカスは全知全能の神ゼウスと人間の女性の間に生まれた神の子で、ゼウスの正妻によって受胎告知され、奇跡で水をワインに変えたり、非業の死を遂げたり、蘇ったりしました。キリスト教はローマの国教としてたくさんの宗教の伝説を継承しながら成長した宗教です。
情勢が不安定だったこの時代、ローマにはミトラ教やグノーシスなどたくさんの宗教がありました。その中でも勧善懲悪の終末論や信じれば救われる易しさから、キリスト教は大衆の間で流行していました。コンスタンチヌス1世は巧妙な方法でキリスト教徒を味方に取り込み、ライバルに差を付けました。自身もキリスト教に帰依しましたが、死の直前に洗礼を受けるまで信じていなかったともいわれます。

古代ローマの公衆浴場がすごい!

古代ローマ帝国にはテルメ(Thermes)とよばれる公共浴場が各都市に少なくともひとつあり、市民の社交場・娯楽施設として親しまれていました。ローマ人は召使いや奴隷をつれて浴場を訪れ、一日の長い時間をそこで過ごしたそうです。まだ石けんが無かった時代、入浴前には軽いスポーツで汗をかいたあと全身にオイルを塗り、専用の器具(strigil)で汚れを落とすのが一般的でした。
一般的な公共浴場は、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(ぬるま湯室)、フリギダリウム(冷浴室)のほか、スダトリウム(スチームサウナ)、ラコニクム(サウナ)などの施設で構成されていました。コンスタンチヌス共同浴場跡には、カルダリウム、テピダリウム、サウナ室が現存していますが、往時には召使いの控室や運動場、脱衣室など、たくさんの部屋があったものと思われます。まさに現代のスーパー銭湯そのものですね。

プロヴァンス最大規模のテルメ

コンスタンチヌス共同浴場跡はアルルに現存する古代ローマ遺跡の中でも特に損傷が激しい遺構で、ほとんど廃墟という雰囲気のスポットです。川に面したドーム状のカルダリウム跡を確認することはできますが、予備知識なしではここがローマ時代のスーパー銭湯だったとは想像もできません。訪れる際にはしっかり予習をしたうえで最後のおさえとして散策するのがおすすめです。
テルメでは近くにある川から引いた水を複数のボイラーで沸かして使用されました。ローマの浴場には個人住宅にもハイポコースト(hypocaust)と呼ばれるセントラルヒーティングがあり、部屋によっては床が熱すぎることもあって、ローマ人は浴室内でサンダルを履いていたそうです。ボイラーからの熱風は床下や壁を経由し、部屋を暖めてから排気されました。

基本情報

所在地:Rue Dominique Maisto, 13200 Arles
TEL:04 90 49 36 36(アルル市役所)
料金:無料
アクセス:円形闘技場より徒歩6分

いかがでしたか?

いまは廃墟と化したコンスタンチヌス共同浴場跡をご紹介しました。コンスタンチヌス1世が治めた西方ローマはゲルマン人の侵入によって476年に滅び、共同浴場や上下水道システムは破壊され、東方ローマもオスマン帝国により1453年には滅亡しました。滅んでいなければどんな文明が完成していたのでしょう。アルルへお出かけの際はぜひコンスタンチヌス共同浴場跡へも足を運んでみてください。

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