月光山明星院とは
月光山明星院は、毛利輝元の生母妙寿院の菩提寺であったが、毛利氏の長州移封後、福島正則により真言宗・明星院と改められました。その後4代藩主浅野綱長により、始祖浅野長政夫妻の位牌を安置し、月光山明星院の敷地の半分に饒津神社が建立されました。
月光山明星院は1945年に原子爆弾の爆心地から約1.8km離れており、月光山明星院の仁王堂と赤穂浪士の倒壊を除き、すべてのお堂が崩れました。月光山明星院といえば、原爆の惨禍に耐えた赤穂浪士木像があることで知られています。原爆の惨禍に耐えた赤穂浪士木像を見に行ってみてはどうでしょう?
月光山明星院にある原爆に耐えた赤穂浪士木像
月光山明星院にある赤穂浪士木像は本堂左右に四十七義士の木像があります。右側には大石内蔵助以下表門隊、左側には大石主税率いる裏門隊が並んでいます。
月光山明星院にある赤穂浪士木像の製作時期は明治時代とされていますが、作者不詳です。月光山明星院にある赤穂浪士木像は高さ70cmで楠の木の一本造りです。
広島浅野家と赤穂浅野家とは分家の関係にあることからこの場所に赤穂浪士木像があるとされています。原爆の惨禍に耐えた赤穂浪士木像ですが、腕を失った木像もあります。
月光山明星院周辺の観光スポット① 二葉山平和塔
二葉山平和塔は人類の幸福と戦争のない恒久な世界平和を祈願して作られました。また広島に落とされた原子爆弾で命を失った二十数万人の冥福を祈り、作られました。二葉山平和塔は平和の聖者釈尊の御真骨を奉祀して建立されたものでもあります。
昭和41年に二葉山平和塔の落慶式と広島市への寄贈式が行われ、また正面の仏像はセイロンの国から送られたものです。
また、標高139mの二葉山頂上には、戦時中半地下式の大型高射砲四門があったところでもあります。
基本情報
【アクセス】広島駅新幹線口出口から徒歩約18分
月光山明星院周辺の観光スポット② 縮景園
縮景園は、1620年広島藩浅野氏初代藩主である浅野長晟が命じて作られた大名庭園で、歴代の浅野家に愛され現在の広さまで、拡張されました。縮景園の最初の作庭者は上田宗箇によるものです。
現在の縮景園の作庭者は、京都庭師の清水七郎右衛門によって作られたもので、1900年代初期明治末期頃の現在の形になりましました。1945年の原子爆弾で縮景園は荒廃し、1970年頃には再建されました。
なお戦前の広島市の姿を紹介する写真はこの縮景園を撮影したものが多いです。
基本情報
【電話番号】082-221-3620
【アクセス】 JR広島駅→徒歩15分経路検索
【料金】入園大人260円、高・大学生150円、小・中学生100円、シニア(65歳以上)無料(
【時間】 9~18(10~3月は~17時)
月光山明星院周辺の観光スポット③ 尾長天満宮
尾長天満宮は大穴牟遅命・少名彦名命そして菅原道真を合祀する神社です。
尾長天満宮のある二葉山周辺は広島城からの鬼門にあたる方角であることから築城以降様々な神社仏閣が並んでいて、その中でも「二葉山山麓七福神めぐり」として7つの神社物閣に七福神が祀られており、尾長天満宮はその中の寿老人にあたる像があります。
尾長天満宮は、901年菅原道真が太宰府に左遷される途中、尾長山(二葉山)麓に船を寄せ(当時この付近まで海だった)山を登り休憩をとり、山中のその地に村民が祠を立て道真を祀ったのが尾長天満宮の始まりとされています
1945年の原子爆弾の爆心地から2.6km離れていた尾長天満宮は本殿は爆風により、倒壊したが、焼失は免れました。
基本情報
【電話番号】082-262-2679
【アクセス】JR広島駅下車、徒歩15分
月光山明星院へのアクセス
基本情報
【電話番号】082-261-0551
【アクセス】広島駅新幹線口出口から徒歩約12分