饒津神社とは?
饒津神社は1706年広島藩主であった浅野綱長公が広島城の鬼門である東北の方向に浅野長政公の位牌堂を建立したのが始まりとされています。饒津神社の御祭神は広島藩祖である「浅野家の皆さん」になります。
饒津神社の意味の饒(じょう)は、「豊・食物やものが十分である。土地が肥えている。」の意味で、津(つ)は、「港・船着場・川辺・海辺」の意味があり、「広島の町が物が豊かな水の都となるように」の意味が込められています。こんな饒津神社は芸州鎮護、文武両道の神をお祀りする神社です。
饒津神社と原子爆弾
石造物の手水鉢や唐門周辺の敷石は、原子爆弾の炎熱により欠落・ひび割れ・変形しています。1984年には本殿拝殿社務所などは修復されましたが、石造物の手水鉢や唐門周辺の敷石などの欠落・ひび割れ・変形は原爆被災の証としてそのまま残されています。
また饒津神社は市中心部から傷を追った多数の被曝者の避難所となっていましたが、多数の人々が境内で命を落としました。饒津神社は被曝地にある被曝した神社として、犠牲者の慰霊鎮魂を祈ることは言うまでもありません。
饒津神社周辺の観光スポット① 鶴羽根神社
鶴羽根神社は鎌倉時代の初めに創建されて神社で、もとは八幡宮として位置付けられていました。現在は結婚式場をプロデュースする神様として知られています。また鶴羽根神社はこんなことから恋愛の神社として知られていますが、昔は広島東部の氏神として広島の鬼門にある守護神としての役割があった神社です。
鶴羽根神社は鎌倉時代に建立された椎の木八幡宮が前身と言われ、江戸初期に明星院の鎮守社となりました。1835年に現在の地に移り、社殿が再興されました。1868年に鶴羽根八幡宮、ついで鶴羽根神社になりました。
基本情報
【電話番号】082-261-0198
【受付時間】9:30~16:00
【アクセス】JR広島駅北口より徒歩10分
饒津神社周辺の観光スポット② 広島東照宮
江戸幕府三代将軍である徳川家光は日光東照宮創建後、全国に東照宮の造営を勧めたため、全国に東照宮が創建されました。広島東照宮もそのひとつです。
明治時代には荒廃しましたが、明治時代後期には再建されました。太平洋戦争時は、大日本帝国陸軍の通信兵は20人ほど常駐しており、空爆の危険の低い地域であったため、避難所でもありました。
1945年の原子爆弾の爆心地から約2.1km離れており、爆風により天井や建物の瓦は吹き飛び、鳥居も跡形もなく吹き飛ばれました。
1984年には拝殿や本殿などが建て替えられ、2008年から2011年にかけて 被爆により傾いた唐門と翼廊の保存修理工事が行われています。
基本情報
【電話番号】082-261-2954
【アクセス】JR広島駅北口より徒歩12分
饒津神社周辺の観光スポット③ 広島城
かつての広島城は、広さ約90㎡の広大な城内には5重と3重の大小天守群以下、日本の城の中でも最多の数を誇る88基の櫓があったとされています。
そんな広島城内は日清戦争時は日本軍の大本営が置かれ、一時期は臨時の首都機能の役割も果たしました。広島城は1931年には旧国宝に指定もされていました。広島城は広島市にある広島市を代表する観光地であり、桜が綺麗なところでもあります。
基本情報
【電話番号】082-221-7512
【営業時間】9:00~18:00 12月~2月の平日は17時まで、
【料金】大人:370円高校生・シニア(65歳以上):180円 中学生以下無料
【アクセス】JR広島駅から路面電車で約14分「紙屋町」下車、徒歩約15分 JR広島駅からバスで約7分「合同庁舎前」下車、徒歩約8分
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饒津神社へのアクセス
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基本情報
【電話番号】082-261-4616
【アクセス】JR広島駅新幹線口(北口)から西へ徒歩15