常陸秋そば
「全ての作業を一人で行います。
どうぞ、時間と心にゆとりをお持ちになってお入り下さい。」
蕎麦処の店主小川翁が綴られた1枚の張り紙に心惹かれ、初めて訪れたのは数年前であったと記憶しています。
当時は蕎麦が売り切れてしまっていた為泣く泣く諦め。
このたびのリベンジは朝早くから茨城県常陸太田市へと向かいました。
『慈久庵』
聞くところによると常陸秋そばの十割がウリな慈久庵。
"せいろそば"だろうが"そばがき"だろうが香りは大差ないのだけれど、小川翁の蕎麦を色々な食べ方で楽しめること自体に価値を見出し長年通われている方が多いとのこと。
お店の中へ一歩足を踏み入れるとそこはまるで別世界のようでした。
別世界というか異世界。
私たちはどうやら異世界への扉を叩いてしまったようです。
中央に置かれた暖炉からは木の温もりを感じられる音が、耳を澄まさずとも聴こえてくる。
お席の一つひとつは深く厳かを纏、大きな窓からは豊かな緑を目の当たりにし自然への慈しみに溢れる。
小川翁が動線を確保しているかのごとく定められた中央の廊下は、決して素人の立ち入りは許されないと錯覚してしまうほどの尊を解き放っていました。
随所に図りきれないほどの歴史を感じる。
同時に、小川翁が長年をかけて積み上げてきた徳に触れる瞬間が凛として訪れてきてくれるかのよう。
慈久庵とはまるでひとつの世界を表現されたかのような唯一の個体値でした。
オーダーしたのは葱天せいろ。
葱天とは、てっきりかき揚げみたいなものを想像してみれば、青葱を寄せ揚げたあられ揚げ的なお品。
これに塩をつけていただくのですが、蕎麦をたくるのではなく日本酒を舐めるべきであったと深く反省。
地葱の天ぷらは甘みが強くとても美味しかったです。
しかしながら肝心のお蕎麦は磨きこまれた楚々とした味わい。
美しい白さにようやく出逢えた神々しさもありつい拝んでしまいそうになります。
ここから先は心の作法に沿った手順に忠実に。
蕎麦の透明感と挽きぐるみの甘皮の粒々した黒点に見惚れ、蕎麦を数本ツユに浸けずにたくっていただく。
甘皮から解放された香りを楽しみ、さらに"噛む"を続けていくことで蕎麦の甘みを堪能する。
品がよいだけでも、蕎麦の薫りだけが勝るでもなく研ぎ澄まされた味。
そしてつゆとのバランスが完璧で神懸りの出来に。
何たることか。
つけ汁の濃さもお出汁の力強さも今までで一番。
これを超えるものには現世では出逢えないとさえ思います。
ねっとりと弾力のあるそばがきは、もちもちとした素の食感をまず味わってからお味噌、おネギを使いいただきました。
蕎麦の風味の濃厚さで勝負するでもなく素朴な味わいですが、端正でバランスの取れた味わいに思わず背筋が伸びる瞬間。
彼がオーダーしたお品は古式けんちんそば。
茨城県の郷土料理とも言うべきけんちんそばを慈久庵流にアレンジしたもの。
温かいけんちん汁と3つの玉に分けられたそばとが別皿に盛られ、1玉ずつを汁に入れて解して食べるよう説明されました。
塊となっているそばがけんちん汁の中で解されると独特の柔らかさとなり、お口の中ではほろほろと崩れていくかのような食感。
美味しいのと初めていただく味わうタイプのお蕎麦に慈久庵で出逢えました。
所詮けんちん汁はけんちん汁だと私のように極めて視野が狭い方には、是非一度触れていただきたいお味だなぁと思います。
東京からは多少の距離がありますが、旅の目的地はこの場所であっていいと思えるくらいには名店だと。
この場所にたどり着くことが私の夢のひとつでもありました。
「万作豊穣恒久美郷」
五穀だけでなく、そばや木の実や草や花たちも豊かに実り、それを収穫し加工し食する営みのみえる美しい郷がいつまでも続きます様に。
ご馳走さまでした。