新宿三丁目の百貨店伊勢丹新宿店地下1階にあるショコラティエのブティック。JR新宿駅からの来店は地下道の利用が便利です。イートインとテイクアウトのコーナーがあるお店は温度管理のためにガラス張りの個室になっており(中はとても涼しい冷蔵庫状態)、ドアの前に店員さんがいて入室を管理しています。中はさほど広くないため特に土日には入店待ちの長い列ができていることも…商品はショコラ、マカロン、焼き菓子、アイスクリームのほかブティックのみで購入できるケーキもおすすめ。どれも濃厚な味でショコラ好きへのプレゼントにも最適です。
ドゥジャ ピスターシュ
ピスタチオ風味のチョコレートに
ビターチョコレートのムースと
ビスキュイショコラを重ね合わせた
ジャンポールエヴァン定番人気の
ガトー(*´ー`*)
大好きなショコラティエ、
ジャンポールエヴァン🍫
一昨年くらいに京都の旗艦店がなくなってからは関西では食べることができなくなってしまったジャンポールエヴァンのケーキ😭
東京に行ったら絶対食べようって思ってました🥰
味と情熱の人
フランスのブルターニュ地方マイエンヌの小さな村に生まれた子供は、どんな運命を辿ったのでしょうか?
小さい頃、父の果樹園で採れた果物でタルトを作って家族みんなを大喜びさせ、甘いものは人を魅了すると知りました。
「パティスリーは音楽のように人々の心を慰めると、幼いころに分かった。」
彼のストーリーは1970年代にパティシエ、ショコラティエ、グラシエの資格を得るところから始まります。インターコンチネンタル・パリでパティシエとして働いた後、ホテル・ル・ブリストル・パリを経て、24歳の時、ホテル・ニッコー・ド・パリにてジョエル・ロブション氏のもとシェフ・パティシエに昇格しました。
ロブション氏とのかけがえのない出会いにより、その後ジャン=ポール・エヴァンはパティスリーとショコラトリーにおいて、8つ以上のタイトルを勝ち得ていきます。
日本へ
1984年、フランス菓子の象徴であるリュシアン・ペルティエ氏が日本出店をジャン=ポール・エヴァンに託しました。
日本で過ごした約一年間が素晴らしいものとなり、クオリティとこだわりへの鋭い感性を得ることとなります。
現在まで
1986年、フランスへ帰国後、MOF(フランス国家最優秀職人章、パティシエ・コンフィズール部門)を受章、名誉あるトリコロール襟を獲得しました。
社会的地位の確立と豊かな経験を得て、1988年、パリ7区のモット・ピケ通り16番地に自身の初となるブティックをオープン。
2002年には東京と広島に、ジャン=ポール・エヴァン初となる「カーヴ ア ショコラ」と「バー ア ショコラ」を備えたブティックを開店しました。
ジャン=ポール・エヴァンは今日、フランスの味覚やショコラ文化の最も熱烈な擁護者の一人になりました。パティスリー界のエリートが集結する「ルレ・デセール協会」、またショコラ愛好家クラブ「クラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラ(C.C.C)」のメンバーでもあります。
日本文化の魅力
ジャン=ポール・エヴァンが持つ、日本の文化や伝統的なしきたり、現代の習慣への愛着は、ジョエル・ロブション氏のもとでパティシエとして働いていた1970年代から始まります。
素晴らしく近代的なホテル・ニッコー・ド・パリでの仕事が、ジャン=ポール・エヴァンを形成しました。
この間に、パティスリーと、「正確でエレガントな動き」の空手に情熱を燃やしました。
1984年、東京へ飛び立ち、パティスリー・ペルティエ(現在は閉店)のラボラトワール責任者になりました。そこでの18か月間が彼に啓示をもたらしたのです。
最も日本人らしさを持つ
フランス人パティシエ
「今日、私の一部は日本にある」
パリのブティックオープンから14年後、ジャン=ポール・エヴァンは日本へ戻りました。日本の地でフランスの味や文化が受け入れられたことにより、常に最高で、謙虚で、職人の仕事を尊重する日本への愛情を確信します。
2002年、東京の伊勢丹新宿に日本1号店をオープンしました。
ジャン=ポール・エヴァンは、日本に根付いた海外ショコラティエブランドのトップに格付けされました。
現在12店舗を日本に有しています。
カウンター5席、テーブル10席
「伊勢丹」駐車場
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0333521111
〒160-0022東京都新宿区新宿3-14-1伊勢丹新宿店B1階